横道から入ると階段があって南山神社の鳥居が目の前に。鳥居の右横には案内板があって、南山城跡の概要が記されているのだけど、南山神社については何も記されていなかった。鳥居の先には、南山神社の拝殿があるのだけど、老朽化のためか柵で囲われている。この周辺は鬱蒼と茂った森になっていて、で立派なガジュマルの樹が何本もあり独特の雰囲気を醸し出している。天気がいいと木洩れ日が綺麗だけど、夜はちょっと恐そうだ。拝殿後方には、広い前庭を持つ横長の拝所がある。その左側にの階段を登ったところに、「南山城跡」と刻まれた石碑が鎮座している。その隣りは高嶺小学校の校庭で、城跡と一体になっているって感じ。
さて、嘉手志川は、城跡の裏手にあるのかなとも思ったけど、それらしきものはないし、今までの経験だとガーは集落の中にあるはずなのでと思い、歩いていた学生に尋ねたら、学校の道向にあるってことだ。今度はすんなりと分かった。
嘉手志川も与座ガーと同様い水量がとても豊富だ。こちらはカーの前がプールと言うか池のようになっている。子供達の恰好の遊び場にもなっているようだ。
干ばつのときにも枯れることがないらしく、昔話としても、「昔、大里一帯が大干ばつになり、どこをどう探しても一滴の水さえ見あたらないことがあった。人々は雨乞いをしたが一向に効き目がない。ところがある日老婆の飼い犬が全身びしょ濡れになって帰ってきた。不思議に思った老婆が犬の後を付けていくと山奥に真水がこんこんとわきでる泉があった。人々は「かでし、かでし」と叫んだ。「嘉例吉」の意である。以降この泉を嘉手志川と呼ぶようになった。と言う話があるそうだ。
カメラを向けると子供たちは、一斉に飛び込んで水しぶきをあげてくれた。
嘉手志川は、南山繁栄を支えたといわれる泉でもある。琉球正史「球陽」によると、南山王他魯毎(たるまい)は、中山王尚巴志の持つ金屏風を欲しがるあまり、この嘉手志川と交換。この泉を失ったことで、南山は滅んだといわれているそうなんだ。
湧口は囲われていて入れないのだけど、岩の下から清らかな水が湧き出しているのが見える。湧水前の池には、大きな魚も泳いでいる。尾鰭からするとピラルクーじゃないかな?ここも子供達には大人気のスポットみたいだね。
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