2008年09月03日

普天満宮洞穴

06ent3_g_t_hutenma_cave.jpg普天間宮(普天間神宮)は、宜野湾市で唯一の神社で、初詣などかなりの人出があるところ。ここに鍾乳洞があることを知っている人は、結構いるんじゃないかと思うけど実際入ったことのある人はすくないんじゃないかと思う。私も以前から知ってはいたのだけど、案内板に場所が書いてある訳じゃないし、なかなか機会もなかったのだけど、ようやく訪れることができた。

21honden_megami_hutenma_c.jpg

普天満宮洞穴は、宜野湾市指定名勝で誰でも入ることはできるのだけど、本殿左の祈願受付所で見学願いを申し出てから名前や住所を記帳して、巫女さんにカギ開けてもらわないと入れない場所にある。見学の前に隣りの控え所でしばらく待つことになる。ちょうど結婚式をあげるらしいお二人が巫女さんから詳しい説明を受けている最中。奥のガラスの向こうには、普天満宮洞穴の謂れを現した屏風と説明書がある。それによると、
昔、首里の桃原というところに、世にも美しいひとりの乙女が住んでおりました。優しく気品に満ちたその容姿が人々の評判となって首里はもとより、島の津々浦々まで噂となりましたが、不思議なことに誰ひとりその乙女を見た人はいないのです。いつも家にこもりきりで機織りにせいをだし、外出もせず他人には決してその美しい顔を見せません。神秘的な噂に憧れて、村の若者達は乙女に熱い想いを寄せておりました。
ある夕方乙女は少し疲れてまどろむうち、夢とも現ともなく荒波にもまれた父と兄が、目の前で溺れそうになっている情景がありありと見えました。数日前、父と兄や船子たちを乗せた船は、大勢の人に見送られ出帆していったのです。乙女は驚いて父と兄を必死で助けようとしましたが、片手で兄を抱き、父の方へ手を伸ばした瞬間、部屋に入ってきた母にわが名を呼ばれてハッと我に返った乙女は、父を掴んでいた手を思わず放してしまいました。幾日か過ぎて、遭難の悲報とともに兄は奇跡的に生還しましたが、父はとうとう還りませんでした。
乙女の妹は既に嫁いでおりましたが、ある日夫が「お前の姉様は大そう美人だと噂が高いが、誰にも顔を見せないそうだね。私は義理の弟だから他人ではない。一目でいいからぜひ会わせてくれないか。」と頼みました。しばらく考えた妹は「姉はきっと会うのを断わるでしょう。でも方法がひとつあります。私が姉様の部屋にいってあいさつをしますから、そのとき何気なく覗きなさい。決して中に入ってはいけませんよ。」と答えました。
乙女はいつものように機織りの支度をしていましたが、その美しい顔に何となく愁いが見えます。 神様が夢で自分に難破を知らせて下さったのに、父や船子たちを救うことができなかった悲しさが、乙女の心の糸車に幾重にも巻きついて放れないのです。旅人や漁師の平安をひたすら神に祈り続ける毎日でした。「姉様しばらくでございます!」 妹の声に振り向いた乙女は、障子の陰から妹の夫が覗いているのを見つけました。その途端に乙女は逃げるように家をとびだしました。
末吉の森を抜け山を越え飛ぶように普天満の丘に向かう乙女に、風は舞い樹々はざわめき、乙女の踏んだ草はひら草(オオバコ)になってなびき伏しました。乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天間の鍾乳洞に吸い込まれるように入って行きました。 そしてもう再び乙女の姿を見た人はありません。現身の姿を消した乙女は、普天満宮の永遠の女神となったのです。
とのことだ。



all01ent_hutenma_c.jpg

しばらくすると巫女さんが現れ、本殿の横から鍾乳洞の方へ案内してくれる。琉球石灰岩で囲われた廊下の壁のガラスショーケースには、奉納された獅子加那志や陶器などが陳列されている。そこから一旦階段を昇ると正面に鍾乳洞への入口が現れる。違う世界へと踏み入れるような雰囲気がそこにある。

06ent3_g_t_hutenma_cave.jpg

洞内に入ると、ひんやりとしていて気持ちがいい。横穴の洞穴のせいか湿気もほとんど感じられない。普天間神宮の本殿に昇る階段横にある案内板によると、
琉球石灰岩層に形成された全長およそ280mの横穴洞穴で、主洞口を東にして西方向へ延びている。洞穴の開口部は二ケ所にあり、主洞口は石灰岩の崖の中腹、他の一つは洞壁が崩壊してできたものである。
info_hutenma_cave.jpg洞穴の内部は、途中二ケ所ほど天井も低く幅も狭いところがあるが、平均して天井の高さは4-6m、幅は1-3mあり、充分立って歩ける広さである。洞内には、広い場所が三ケ所ある。その一つは、奥宮(おくみや)になり、広場のうち最も大きく幅15m、天井の高さ6mである。他の一つは、奥宮からおよそ80m奥の所である。そこには、つらら石や石筍がよく発達し、また広場の真ん中には幅4mほどの石柱があり、これが洞穴全体を支えているかのようである。

洞穴の入口に近いところの洞壁には、連続している三つの細長い溝のようなものが見られる。これは洞穴ノッチである。つまり、洞穴の中を流れる水によって侵食されてできたものである。これが洞壁の高さの異なる地点にあるということは、洞穴内の水位が次第に下がるなど何らかの地殻変動があったことを物語る科学上の重要な証拠である。

また、洞穴の入口付近には、数万年前に絶滅したシカ類を含む厚い化石層がある。化石は、リュウキュウジカやリュウキュウムカシキョンで、200頭以上も発掘されている。化石は洞内にも散在し、さらに、土器も発見され遺跡にもなっている。

とある。

all02okugyu_hutenma_c.jpg

正面が御神体を祀っている奥宮で、案内してくれた巫女さんがいくつか注意事項を説明してくれる。写真は撮ってもいいのだけど、神様の奉ってある場所は正面から撮ってはいけないそうだ。もちろんしめ縄の内側には入ってはいけない。自然保護の観点からも鍾乳石に登ったりするのはご法度だ。

all03l_hutenma_c.jpg

奥宮を中心に左右に鍾乳洞が続いていて、右の方の道を行くともう一つの洞口に行き当たる。所々ライトアップされていて、鍾乳石もなかなか見応えがある。

all04r_hutenma_c.jpg

奥宮から左へ行くとすぐに天井が低くなっていて、その先にも洞穴は広がっているはずだけど、危険なのでそれ以上は進んではいけない。その周囲の石柱やフローストーンはなかなか見事な眺めだ。大学時代は探検部だったので、各地の鍾乳洞の調査も数多くしたのだけど、こんなに手軽に本格的な鍾乳石を見れる洞穴も珍しいと思う。鍾乳石の種類や成り立ちについての説明はこちら。
帰りに、また祈願受付所に寄ってお礼を。多分また施錠するんだろうと思う。なかなかの見応えだったし、またやってくることにしよう。

19shisar_all_hutenma_c.jpg

20hija_hutenma_c.jpg拝殿前にある石獅子。昭和4年生まれだそうだ。左が口を開けた阿で、左が閉じた吽で二つそろって阿吽の像。なかなかいい顔をしているなと思う。右の写真は樋川だけど、今は水も流れていない。
帰ってから調べてみると、琉球石灰岩からなる宜野湾市の台地では、石灰岩地に特有のカルスト地形が発達していて洞窟やドリーネ、湧水が多数分布しているのだけど、現在まで133箇所の洞穴が記録されていて、沖縄県の市町村では最も多いものなんだそうだ。
22cave_point_gino.jpgこれらの洞穴は、信仰の場や、お墓として利用されてきた他、戦争中には人々の避難場所として多くの人たちの命を救ってきた場所でもあるけど、戦後の土地開発や住宅建設によっていくつかは破壊され、洞口が埋められたものもあるのだそうだ。それにしても大半は、基地の中に存在しているんだなぁ。飛行場の地下は鍾乳洞が縦横に走っているに違いない。それらの水が豊富な湧水のもとだったりする訳で、基地が返還されて開発されると少なくなると心配する人の気持ちも分からないではないね。


大きな地図で見る (宜野湾市全域の情報が見れます。 β版)おきぐるマップ





posted by rio at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 宜野湾市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック