実は、平和の礎(いしじ)はまだ訪れたことがなくて、それが前からなぜか、気になっていたのだ。ちょうど昨日23日は61回目の慰霊の日で、式典が終わったばかりでもある。
この公園にある平和の礎(いしじ)”The Cornerstone of Peace"には、沖縄戦で亡くなった1人1人の氏名が、日本人のみならず米・英・台湾など外国人まで刻銘されている。
いわゆる敵国の戦死者まで刻んである碑は世界で唯一だと聞いた憶えがある。
その刻銘は今もなお続いている。真新しい花崗岩には2006年の部分にも何人もが刻まれていた。
屏風状の刻銘碑は、平和の広場を中心に放射状に並んでいるのだけど、鉄の暴風の波濤が、平和の波となって、わだつみに折り返していくことを現しているのだそうだ。
今はまだ背の低いモモタマナの木も次第に大きくなって枝をのばしうっそうとした木陰を作るよういなってくれるんだろうな。静かに手を合せる方たちや、お供え物をしている人たちを見ていると、なにかこみ上げてくるものがあった。
メインの園路は、中心線が6月23日の慰霊の日における日の出の方位となっていて、抜けると広場から太平洋が一望できる。
参考リンク:平和の礎(沖縄県のサイト)
広場の左には青空に赤瓦が映える平和祈念資料館がそびえている。その前には日本軍の赤さびた酸素魚雷や米軍戦車のキャタピラが展示されている。
この資料館も見応えがあるんだけど、今日は時間も余りないので1階を覗いただけ。
沖縄平和祈念堂の中には、沖縄出身の山田真山画伯が全戦没者の追悼と世界平和を希う平和祈念像が安置されている。高さ12m幅8mもあり、世界に例のない独特の伝統的漆工芸技法で作られているそうだ。使われた漆の量は3.5tにも及ぶと言う。
1957年に制作発表され、それから原型ができあがるまでになんと18年かかったそうだ。しかも当時山田画伯は72歳。完成した時は90歳だった訳だが、なんともすごい話だ。1957年と言えば私が生まれた年であり1975年と言えば私が沖縄にやって来た年なんだよね。そう思うとなんだか感慨深いものもあるなぁ。
この祈念堂の裏には、日本最大のオオゴマダラと言うチョウの飼育蝶園がある。羽を広げると13cmにも達する大きな蝶だけど、人なつこいと言うか人を全く恐れてないように見える。ギリシャでは,蝶のことをプシュケー(「魂」の意)と言うのだそうだ。
詳しくは沖縄平和祈念堂のホームページへ。
クリックしてね!→