2008年03月23日

当山の石畳

19road_far_mikaeri_tishi.jpg石畳と言えば首里金城町のものが有名だけど、沖縄各地に昔の石畳を見ることができる。当山の石畳は浦添大公園のすぐ近くの谷間にある。当山小学校裏手にあるそば処一本松のすぐ近くにも入口があるので、そばを食べたあとに歩いてみた。

あいにくの大雨だけど、2年程前に買ったジャンボな風の抜けるカサをクルマに常備しているので身体がすっぽりと隠れるので、濡れる心配がないし、写真を撮るのにも安心だ。直径136cmある大きなものだけど軽くて、かなりの風があっても二重構造で抜けるので煽られることや、カサが裏返る心配がないのがうれしい。

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当山小学校裏手から見える丘の上に浦添城跡が見えている(左上)。浦添ようどれだと思う。05corn_tishi.jpg石畳道の入口はこの写真のすぐ右の方にあり、城跡まで歩いていくことができる。石畳は割と急坂なのだけど、表面はざらっとしているので雨でも左程滑りやすくはない。ただ所々はツルっとしたりするので注意はしたい。道の横に広がる畑で、トウモロコシが一面に育っている最中だ。
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坂を下っていくと川があり、石の橋が架かっている。大雨のせいで小さな川も轟々と音をたてながら渦巻いている。この川が牧港川らしい。橋の袂には、東屋もあり、そこから川と同じ方向へ浦添大公園への道が続いている。石畳道は川を横切り登坂となって続いている。

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橋の近くに、当山の石畳の解説が書かれている。それには、
琉球王国時代に王府は、首里城と各間切の番所(地方の役所)を結ぶ宿道を、川には橋をかけ、坂は石畳道に整備しました。この道は、首里城から浦添間切番所を通って宜野湾間切番所に至るいわゆる普天間街道で、牧港川の谷間に幅4.5m、長さ200mの石畳道が残っています。馬がころぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。この道を通って、国王は普天間宮に参詣し、また各間切の年貢が首里城へ運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半頃に整備されたと考えられますが、橋は大正時代に改築されました。
と書かれている。昭和59年3月1日に浦添市指定の文化財となったようだ。

坂を登っていくと洞窟っぽい崖があり、雨宿りにもいい感じ。

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雨に濡れた緑がとても鮮やかだ。石畳は終わったけど、さらに道は向こうに続いている。時間があればもっと歩いてみたいと思うけど、それは次回の楽しみにしよう。ずっと先にクルマを停めて歩いてそば処一本松を往復するのもいいかもしれないな。

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この道の傍には、立派なクワズイモが密生していて、雨粒でキラキラ輝いて美しい。雨の日もいいものだなぁと思う。
この道は普天間宮まで続いていたらしいけど、うちの近くにある野嵩の石畳にも続いていたんだろうな。

当山の石畳の場所はこのあたり。浦添大公園や浦添城跡にクルマを停めて散策するのもお勧めだ。

2年前に買った風の抜けるカサがこれ。直径が136cmもあるので大雨でも平気だし、なんと言っても2重構造で風が抜けるで大風でもあおられないしカサの骨が曲がったりしないすぐれもの。

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ラベル:浦添市 史跡 沖縄
posted by rio at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 浦添市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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