泊まったのは駅近くの住吉屋旅館。旅館と言ってもビジネス旅館なので風呂、トイレは別だけど個室になっている。夕食抜きで5000円でおつりがくる。夕食を入れても800円増しだけど、今回は抜きでお願いしていた。朝分かったけど、素泊まりでも朝食はついていたのでやっぱりお得ではある。そしてその朝食はなかなかのボリューム。厚焼きタマゴに、かまぼこ、シラス、漬け物、ハムとサラダ、海苔に写真には写ってないけど、味噌汁と納豆も付いている。それに何杯食べさせようというのかと思うくらいの量のご飯がおひつに入って出てきた。結局2回お代わりしたのだけど、おひつの1/3も減らなかったかも。


雨森町を過ぎ、昨日、紅葉が綺麗だと言われた石道寺の方へ向かう。

山の方に登ってくると道にも雪が残っているので、轍から逸れないようにやや気をつける。クルマを停めて山道を登っていくのだけど、踏まれたところはみぞれ状になっているので、新雪部分か、すでに溶けた道を歩かないと靴がグチョグチョになりそうだ。紅葉に雪が積もっていて、秋と冬の景色を一度に楽しめるのも嬉しい。

杉並木の山道も歩いてみたのだけど、積もった雪が太陽で温められて時々、どさっとと落ちてきたり、雨のように降り注いで来るので、寒くはないけど、コートを被って傘代わりにしないといけない。おまけに道はぬかるんでいて、気をつけていたけど、途中から靴もグチョグチョだ。これは本当の森林浴だな。

琵琶湖の方へ抜けるために国道8号線を北上。空の青に山の緑と紅葉、それに雪の白と川の青のコントラストがなんとも言えない。


店内には地場産品の野菜や加工品が売られていて、軽食コーナーもある。目についたのが魚助の鮒寿司の茶漬けセット。鮒寿司は食べてみたかったのだけど、意外と目にすることがなかったし、1,200円とちょっとお手頃価格。1匹買うと2,000円以上するからね。鮒寿司は寿司の原型となったとも言われているのだけど、強烈な匂いがするのでも有名。さて、出てきたものは意外ときつい匂いではないけど、独特の香りがする。説明によるとフルーティな香りとあるけど、同じフルーツでも南国系かもしれない。鮒寿司は、思ったほど酸味は強くなく、しっかりとした身を噛み締めるとクリーミィな味が広がる。酢飯の具合もちょうどいい。子持ちの身の入った茶漬けは、逆に酸味が強めで、ホロホロっとしたタマゴの部分とのコントラストが楽しい。

店の一角に鴨蕎麦があって、それだけなら心は動かされなかったんだろうけど、琵琶湖産海老のかき揚げが載っていてそれが決め手。お腹も余裕があるしワンコインなのも嬉しい。蕎麦の味は上等な立ち食いそばって感じなんだけど、海老のかき揚げは、風味も食感もとてもいい、口いっぱいに海老の香りが広がる。小さめの鴨肉だけど、レア気味で柔らかく美味い。この海老のかき揚げだけど1パック300円なので、買ってからトッピング増しにしてもよかったかもだな。
さてさらに8号線を進み、トンネルを抜け左手の標識に従い左折して奥琵琶湖ドライブウェイへ。紅葉と緑のコントラストが息を飲む程美しい。春は桜、夏は濃い緑、秋は紅葉、冬はセピアと白ってのが原風景だけど、永い間心の奥に仕舞い忘れていたんだなとも思う。

ドライブウェイはなかなか快適と言うかワインディングロードで走らせるのが楽しい。スポーティカーならもっと楽しめそうだ。湖面沿いの道は途中から急な上り坂になり頂上の展望台へ。ここから湖北の町とその向こうの伊吹山が臨める。伊吹山の冠雪がクリスマスツリーのようにも見える。

展望台の周辺やここから下っていく道周辺の紅葉も見事だ。まだ緑の部分から黄色、赤までグラデーションで色づいているのもいいね。展望台のお土産屋さんの方に聞いたら、雪で午前中はドライブウェイは通行止めだったんだそうだ。私はラッキーだったかも。登りの道は雪はほとんどなかったんだけど、下りの方は日があたらないせいか、道路には残雪が結構多いので慎重に走ることに。

8号線を南下して、赤後寺(しゃくごじ)へ向かう。田んぼの中に素敵な雑木林があるなと思ったら、そこもお寺だ。

赤後寺には千手観音立像と菩薩立像が祀られ、、3回お参りすると苦しまずコロリと極楽往生できると古来から言い伝えられていて別名コロリ観音とも呼ばれている。ここの菩薩像も焼き討ちから逃れるために土中に埋められて守られたものだ。元は金色に塗られていたのが一部残っているけどほとんどは黒くなっているもののとても滑らかに光っている。何百年も前のものなのに、こうして残っているのはすごいことだ。それに比べ人間の作り出した素材の儚いことよ。

高月町の平野と琵琶湖を山が隔てているのだけど、これが昔から大問題で、大雨のたびに川は氾濫し、周囲の山や野に降った雨水もことごとくこの辺りに集中し、田畑は冠水して一面湖沼のように一変し、隣村との往来も危険な状態だったそうだ。江戸時代末期、水から村と田畑を守るため村人が主体となって山の掘り貫き工事を行い、排水トンネル「西野水道」を5年余の期間をかえ、1845年の秋に完成させたのだそうだ。記録によると、石工の労働日数5289日、村方人足3500人、他村からの手伝い人足123人を要し、石工の賃金その他の経費をあわせると1275両といわれている。現在の価値では3億とも5億とも言われるこの資金の大半を100戸足らずの農家が力をあわせて負担捻出したと言うのも驚きだ。それほど切実なことだったんだろうとも思う。

この西野水道は、高さ11.5-3m、幅1-1.5m、長さ約220m。トンネル近くの小屋に長靴、ヘルメット、懐中電灯が用意されているので今でも通ることができる。私も通ってみることに。中に入るとすぐに真っ暗で、高さも幅もほとんど人が一人入れるって感じ。閉所恐怖症の人には無理かもしれない。固い岩盤に阻まれたせいかトンネルは途中で折れ曲がったり、川床を深くなったりして、何度も高低や方向を修正した様が伺える。細かいノミの痕もたくさん残っている。最後の方は、かがまないと進めなくなるし幅も狭い。現在は横に2本の大きな水路があり、それぞれ昭和25年と55年に設けられたものだ。真ん中のトンネルは人も通ることができるので帰りはそちらを使ったのだけど、まっすぐ歩いてもそれなりに距離がある。

※そのうち加筆修正予定



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